世界は何色に見えますか?
天国から地獄、地獄から天国。どっちがいいだろう。
私は、後者を選ぶ。
好きなものは最後まで取っておく派である。
だが、私がこれまで歩んできた道は前者。天国から地獄。
そんな私の半生を振り返る。
もういちど天国に返り咲く。
中学生
中学校時代はまさに天国。
通っている中学校はサッカー部が一番強くて、かっこよくて、憧れの対象。
そのサッカー部でスタメンだった私も恩恵を受け、程々にちやほやされた。
当時は怖いものがなく、肩で風を切って歩いていた。
毎休み時間、ポッケに手突っ込んで闊歩する三人組の一端だった。
皆が自分を見ていると思っていて、中学校という狭い世界で有名人のような感覚だった。
ただ、元々の性格は奥手で自信がない少年。
だから必要以上に自分を大きく見せようとしていたんだと思う。
自分を好いてくれる人が好きだった。
理由は、自分のことを好きもしくは好きだったという事実を根拠として自信が持てるから。
時代錯誤な発言になるが、自分より少し下のカーストの人に優しくして好かれるのが楽しかった。
気持ちには応えられないけれど、仲良くするという方法でたぶらかしていた。
後輩もそう。年の差という絶対に埋まらない差があるから自信を持てる。
「サッカー部の秩序さん」というだけで敬ってくれる後輩ちゃんはとても健気で可愛かった。
一方、私には本当に好きだった固定の彼女がいた。
高校生になってお別れすることになるんだが、思春期の恋愛は価値観を作る。
深い関係にあったはずだった彼女。
別れた後、自分の友達は会っているのに自分は会えない。
大人になった今考えると当たり前かもしれないし、そうなるのが当然の流れなのかもしれない。
けれど、当時の私はこの事実を受け入れられず、「本当に好きな人とは付き合わない方がいい」という持論に至る。
傷つくのを避けるようになった。
一時の感情で深入りして、その後二度と会えなくなるくらいなら、一定の距離でのらりくらりやっていたい。
この考えは若干16歳の頃から23歳になった今まで変わっておらず、急に関係性を深くしたくない。
一瞬で手に入れたものは失う時も一瞬。
時間をかけてじっくりコトコト手に入れたい。
そう、大器は晩成。
高校生
振り返ってみると中学生が一番楽しい時期だった。
高校生になり、ここでもサッカー部に入学。
スポーツ校で、サッカー推薦生が過半数を占める。そんな部活に所属した。
“完オフ”と呼ばれる「一日、完全に何もない日」は月に一度あればいい方で、心も体も余裕がなくなっていく。
甘やかされて育った私にとって、その環境はまさに地獄。
好きでやっていたサッカーを苦痛に感じ始める。
結果的に半年で部活を辞めた。
ちなみに、中学校時代から本気で好きだった彼女とも、高校のサッカー部時代に別れることになる。
理由は3つ。
①恋愛禁止
私の通っていた高校のサッカー部は、強豪が故に恋愛禁止。マネージャーもいない。
彼女の存在が顧問にバレると坊主にさせられる、という昭和な風潮が残っていた。
心の優しい私と一番仲の良かった友達はそんな決まりに縛られて、彼女の存在を隠して生きていた。
試合会場に向かうチャリでふたり、こそこそ話す恋愛話が楽しかった。
②余裕のない自分
オフがなく、毎日の部活は苦痛。
部活が終わる時間までいかにやり過ごすかを考えながらボールを追いかける毎日。
部活が終わって帰っても、用意してあるご飯を食べて寝るだけ。次の日も部活。
たまにあるオフも体を休めるだけで精一杯。
遊びに行く元気も、外に出る気力も、残っていない。
そんなキャパオーバーな自分に、彼女を気遣う余裕はなく、ほとんど放置状態。
遊びに行くにも「ばれたらどうしよう」が頭によぎる。
しばらく放置した挙句、花火大会に行く約束をする。
約束したものの、「花火大会に行ったら楽しいだろうし、また好きな気持ちは戻ると思うけど、そうやっていつまでも気持ちが波打つのがしんどい。」と言う理由で花火大会の約束撤回を告げられた。
ぐうの音も出ない。
言い返す気力も、言い訳をする余裕もなく、そのまま別れを告げられる。
自分の余裕のなさは他人には伝わらない。
③彼女との関係性。
中学校時代からそこそこ長く付き合っていた彼女。
関係性は明確で、彼女がついてきてくれる感じだった。
思うことは沢山あったはずだし、耳に入ってきたこともあった。
けれど、彼女はおしとやかに、慎ましくいてくれた。
中学校時代は学校のそこそこ中心。
怖いものがなかった故に自信満々。迷いがない。
そりゃ程々にやりたいことをやらせてもくれるわけ。
高校生になって学校も離れて、相手をしてくれない余裕のない男。
そりゃ終わりも来る。愛想も尽かす。
そんな流れで彼女と別れ、大好きだったサッカーからも離れた。
当時の想いはとにかく“オフ”が欲しい。“何もしなくていい時間”が欲しい。
それだけだった。
部活を辞め、初めての帰宅部を経験した私は、反動で怠惰な生活を送る。
学校が終わると直帰。即ゲームをやってそのままソファで寝落ち。
中途半端な時間に目が覚めて、夜遅くまで友達とLINE。
何も考えず、堪能もせず、ただ日常を早送りで過ごしていた。
人生に張りがない。減り張りの減りしかない日々だった。
中学時代を天国とすると、ここからの高校生活が地獄。サッカー部時代は序章に過ぎなかった。
部活を辞めて時間と共に怠惰を手に入れた私は、今までずっと動かしてきた身体に急ブレーキをかける。
デトックスがされなくなった身体はどんどん蝕まれていき、アトピー性皮膚炎が再発。
幼少期から体の弱かった私は、甲状腺機能低下症、喘息、アトピー、アレルギー等、諸々の持病を持っている。
サッカーや水泳などの運動で、デトックスすることでなんとかなっていた持病が、この怠惰で復活。再発。
しかも今回は18歳で発症。成人型アトピーという、幼少期より治りにくいもの。
現に、この記事を書いている今もアトピーには悩まされているし、付き合い続けている。
ここで思い知るのは、今までの人生は親によって生かされてきたということ。
先に挙げた持病のことを詳しく何も知らないまま18年生きてきて、アトピーが再発した時も、何が何だかわからなかった。
私が虚弱体質で生まれてきてから、母は必死に病気のことを調べ、いいと言われることを軒並み試してくれていた。
“知らない”、“気にしない”でいられることの数で人の余裕は決まっていて、親の務めは子供が“気にしない”でいられるようにすることのなのかもしれない。
何ひとつ自分の力で進んできていなくて、全て母の力だったんだなと思い知った経験だった。
当時はこれにも気付けていない。
ただただ自分が悲劇のヒロインで、「つらい、きつい」と喚いていた。
大学生
なんとか大学生になる。
アトピーを拗らせている当時は、そこそこに遊び、そこそこに楽しみながら、ストッパーを常にかけていた。
マスクが好き。サングラスが好き。前髪は重め。
理由は単純、守られている感があるから。
暗い所が好き、居酒屋は内装で決める。
理由は顔が見えづらいから。
自信満々だった少年はどこかへ消え去って、自分を隠して生きるようになる。
ただ、持ち前の明るさは完全になくなったわけではなく、関わりやすいそこそこいい奴ポジションは保っていた。
自分を隠して生きながら、人当たりはそこそこいい。という矛盾にまみれた私。
ある飲み会で「人当たりはいいんだけど、実は誰にも心開いてないよね」と言われたことがある。
刺さりすぎて、その後はお酒の味がしなかった。
「秩序」というペンネームは、“秩序立った人間”と友人に言われたことがきっかけで、使っている。
詳細は下記。
早寝早起き、整理整頓、ルールに忠実、体裁大好き。
そんな集合体が私だ。
まだ23歳にも関わらず、普段は22時には就寝、5時半頃に目が覚める。瞑想も習慣化している。
早寝早起きについて、「すごい、えらい」という反応を受けることがある。
違う。
私も夜更かしがしたいし、本当は夜更かしが大好き。
早寝早起きをしないと生きられない身体だからやっているだけ。
夜更かしを続けると、アトピーが活発化。顔がジクジクする。
そうなると一番つらいのは自分。
内部からやられていく。まともな精神状態ではいられず、正常な判断が出来ない。全てがどうでもよくなる。
そうじゃないと生きられない。けれどそんな重い話を急にしても話の腰を折るだけである。
そんな理由から、ひとりのほうが楽だと思うことも多い。
ただ、そうは言えど、仕事はある。
人との関わりは絶えないのである。なんて生き辛い人生なんだろう。
家を出る前は、人に会う可能性がある際は、鏡で顔の調子をチェック。
前日、前々日から生活習慣を気にしないとまともに人に会えない。会いたくない。
いくら気にしていても、急に症状が出ることもある。
アトピーという言葉の語源を知っているだろうか。
ギリシャ語のアトポスという言葉から来ていて、「変な、捉えどころのない」と言う意味。
原因不明な病気であるという由来で名付けられた。
そう、原因不明なのである。
急に悪化する可能性があるからこそ、先の予定や旅行、泊まりなどの予定を立てづらい。
高校の修学旅行に行きたくないと言っていたくらい深刻だ。
だからこそ気の知れた仲の人としか遊ばないし、遊びたくない。
社会人になった今、深い関係になるにはこの現状を理解してもらうまでに相当のハードルとエネルギーが必要なため、ジレンマにもなっている。
地獄から天国へ
と、ここまで私の天国史と地獄史を振り返ってみた。
人はそれぞれの置かれた環境で、それぞれの悩みを抱えている。
現状を嘆くのではなく、置かれた環境でどう輝くか。
配られたカードで最善を尽くすかが私たちの使命。
天国から地獄へ行ったのなら、天国に返り咲くだけ。
社会人になってから、ひとり暮らしを始めた。
甘ちゃんの卒業、ぬるま湯の張り替えである。
ひとりで暮らすようになって色々感じることがあった。
こういう積み重ねが人を大人にしていく。
下らない大人にはならないように、自分を律しながら今を一生懸命生きていきたい。
地獄で味わった渇き。
渇きの分だけ潤える。谷の分だけ高い山。傷の数だけ経験がある。
そんな言葉を信じているし、信じるしか道がない。
弱さも強さも味わったからこそ、見える景色。
自分にしかない立場、自分からの視点。
自分なりの生き方、自分なりのフィールドで輝く。
そんな決意とともにこの記事の幕を閉じる。