『バレンタインは廃止でいい。男女平等に働いているのになぜ女性から男性に感謝して贈るのか』というニュースを目にした。
男女平等・ジェンダーレスが重要視される近年。
意見を主張するには、それなりの軸をもって冷静で客観的な視点が必要になる。
そこで、このバレンタイン男女平等問題から派生して、私の意見を述べる。
記事の内容について
冒頭に記載した『バレンタインは廃止でいい。男女平等に働いているのになぜ女性から男性に感謝して贈るのか』は、ニュースの見出しになっていたもの。
見出しだけで判断しては議論にならないので、内容を一読した。
この記事は、弘中アナウンサーの発言をまとめたもので、バレンタインデーについて、『無くなったらいいと思う日があったら堂々の1位』と言っていた。
更に、『例えば、好きな方にチョコレートとか贈り物を贈る機会になっていることに関しては別に何も思わないんです。でも、なぜ女性が男性に対して「日頃の感謝を込めました」みたいな感じで贈らないといけない「風習」になっているんだろうと感じます。』と続ける。
たしかに、理解は示せる。
弘中アナはどうやら義理チョコについて疑問を持っているようで、番組のスタッフ何百人に向けて女性からチョコをあげなければいけない風習としてのバレンタインデーについて意見を言っているようだった。
これに対して、「あげなければいい」という意見も散見されたが、周りの風潮、芸能界という独特の業界でそういうわけにいかないというのもあるだろう。
男女平等について(論点)
私が意見を述べたいのは、見出しにある「男女平等に働いている」という点について。
たしかに近年、男女平等の重要性が増してきているのは承知の事実であり、疑いようがない。
ただ、それを言ってしまうと「男は奢って当たり前」論争や、「不同意性交」問題(私は拒否したけれど、強引に…)に収拾がつかないのではないだろうか。
「男が奢って当たり前」については、男女平等参画社会基本法が施工された1999年以前から続く「男は仕事 女は家庭」という価値観からきているものだと考える。
「不同意性交」については、体格的に劣る女性が体格的に勝る男性に強引に、というのは容易に考えうるものの、密室での行為を供述のみで判断されてはやるせない気持ちになってしまう。
平等とは何か
つまるところ、平等とは何なのかという部分が問題になってくる。
この点について、ひとつの風刺画をご覧いただきたい。
この画像は「平等」と「公平」の違いを表したもので、このふたつの言葉についてごっちゃにして考えてはいけない。
私たちが「平等」と語ってきているのは、「公平」のことなのではないか。ということだ。
「等」しく「平」なものを与える「平等」と、「公」に「平」に整える「公平」。
平等とは、レベルに関係なく同じ武器を与えるということ。
対して公平とは、レベルに応じて異なる武器を与えるということ。
状況によって、ハンデを設けることを良しとする考え方が「公平」だ。
前提を整える
男性と女性では、体格が違えば、骨格も違う。ホルモンのバランスも異なる。
一般に、男性の方が女性より力が強いことは当たり前であり、妊娠は女性にしか経験が出来ない。
生まれながらに不平等であるという当たり前を受け入れ、その前提に立った上で互いに歩み寄り、理解し合うということが今後の社会に必要になってくるのではないだろうか。