FuzzyGray

曖昧の中に真実を

【最後に信じられるのは自分のみ】心に刻みたい格言『水急にして月を流さず』

こんにちは、秩序です。

今回は知識のおすそ分けシリーズ、禅の言葉編。

深掘るのは『水急不流月』について。

とてもいい言葉なので、ぜひ覗いてって引き出しの中にでも入れて帰ってもらえれば本望です。それではどうぞ。

水急にして月を流さず

今回紹介する言葉は『水急不流月

『水急不流月 -みずきゅうにして つきをながさず- 』

  • どんなに激しく水の流れが急であっても、水面に映る月が流されることはない

時代が変わろうと世間がなんと言おうと、そこに変わらずにあり続ける自分軸があるか、信念はあるか。という意味の言葉。

まさにこの言葉通りの生き方をしているアスリートが、座右の銘として挙げていたので深掘ってみる。

時代は回り、歴史は繰り返す

承知の事実ではあるが、時代は変わる。そして変わったかと思えば、歴史は繰り返す。

好きな歌詞に

流行りの服で着飾れば 明日には古くなる
それを追いかけるも追いかけないのも 面白そうな方を選べ

というものがあり、まさにそれ。

流行りはブームを巻き起こすがすぐに廃れ、次の日には新たなものが流行っている。

アメリカで生まれた流行が何年か遅れでに日本にやってきて、それを一般層が取り入れた頃、アメリカでは新たな流行が生まれている。

一時的な流行に乗っては廃れて乗っては…をしていてはあまりに人生は短すぎる。

廃れることを理解した上で取り入れるか否かを判断する軸が必要だ。

川の流れに映し出された月のように、揺るがない自分軸があるかどうか。
「世論は○だが、私は△である」と強烈に突き出せる哲学があるかどうか。

そんな図太い芯のあるなしに関わらず、ルール・マナー・世論・常識といったものに疑問符を投げかけられるか。そこにかかってるんじゃないかと思う。

まずは当たり前を疑ってみること。

[ あなたの普通は、相手の苦痛 ] かもしれない。

なぜひとつの分野で突き抜けた人は別分野でも活躍するのか

お笑い芸人は身体を鍛え始めるし、アナウンサーはランニングをし始める。

それも中途半端ではなく、行くとこまで行ったりする。

お笑い芸人は面白いだけで、アナウンサーは頭がいいだけなはずなのに、この現象はいかにして起こるのか。

私の脳みそだけで考えた完全オリジナルの持論を展開していく。(以下、敬称略とさせていただきます)

文武両道の謎

一般的な例に落とし込めば文武両道の謎について。

学生時代、どう考えてもサッカー部より帰宅部の方が時間があるはずなのに、クラスの成績トップはサッカー部を始め、運動部が占めていた。

社会に出てもこの現象はあり、お笑い芸人は身体を鍛え始める。
(オードリー春日はフィンスイミングの日本代表になり、東京ホテイソンショーゴはボディビル大会で優勝している)

さらにはアナウンサーやタレントはランニングを趣味とし、マラソン大会に出場している。
(日本一走るアナウンサー長谷川朋加はフルマラソン3時間13分の記録を持ち、100kmマラソン完走経験も持つ。ハリー杉山はフルマラソン2時間52分の記録を持つ。

ここで挙げた例でも分かる通り、どれも中途半端な趣味レベルではなく、アスリートに肩を並べるくらいのレベル感で結果を出す。

 

3つの仮説

自分なりに要因を考えてみたところ、3つ考えられた。

ひとつは、1️⃣ 性格・才能生まれ持ったもの

ふたつは、2️⃣ 自認

みっつは、3️⃣ 波紋の広がる幅、見られているという意識

どれも仮説に過ぎないが、一つずつ詳しくまとめる。

1. 性格・才能

これを言うと元も子もないが、生まれ持ったものが寄与していると考えられる。

才能であり、性格・性質の部分

出来るから出来る。やれるからやれるという、生まれ持ったもの。

性格に関しては、気が強いとか負けん気があるとか負けず嫌いとか諦め悪いとかしつこいとか、そんな所。
薬にも毒にもなり得る性質であるが、彼らはこれをうまく活用している。

2.自認

ふたつめは自認。

自認とは「俺は私は、出来る!」と自分自身を認める認識のこと。

客観的な事実はどうであれ、根拠はなくとも、自分がそう思っていれば自認になる。

少し意味は違うが、"根拠のない自信" もこれに近いものがある。

「自分は出来る人だ」と本気で自認してる人は出来る。
腹落ちまでし切っていない人は出来ない。

陸上で有名な"ロジャー・バニスター効果"があるけれど、結構その辺の思い込みというかバイアスが現実に作用することは多い。

【ロジャー・バニスター効果】

1954年、陸上選手ロジャー・バニスターが30年以上誰も破れなかった「1マイル4分の壁」を3分59秒4で達成。

バニスターが達成してから僅か46日後に別の選手がこの記録を更新。
1年以内に20人以上のランナーが「1マイル4分の壁」を達成した事例。

【教訓】

・固定観念が崩れることで心理的な限界が打ち破られ、可能性が広がる

・「不可能」という思い込み(リミティング・ビリーフ)が「私にもできる」という確信に変わることで能力を発揮できる

個人的にはこれに尽きると思っていて、自分の自認をどこに置いているのか。

アナウンサーやお笑い芸人、俳優やアイドルなど、彼らを遠い別の存在として考えるのか、同じ人間として「彼らにできるなら自分も出来る!」と本気でそう思えるか。

すべてのスタートはここに眠っていて、
その根拠のない自認こそが人を動かしたらしめる第一歩なんだと考える。

3.波紋の幅

最後は、波紋の広がる幅。見られているという意識。

すなわち、アウトプットの場所がある、ということ。

悪く影響すればとんでもないプレッシャーだが、良く影響すれば頑張る理由になる。

自分の頑張りが自分のためだけじゃなく、
誰かに見てもらえる、誰かに伝えられる。応援の声がある。

それによって頑張る活力になるだろうし、頑張らざるを得ない状況にある。

彼らは仕事柄そういう立ち位置にあるので、それがうまく作用した結果の横展開ではないかという仮説。

 

やって出来ないことはない。

ということで、こんな感じで有名人は横展開している。

ただ、有名人も元は一般人。
生まれはママのお腹。最初は等しく赤ちゃんである。

そして抽象度を上げると同じ人間。
やって出来ないことは無いし、私を含め一般人との明確な境目は存在しない。

すべて思い込みでしかない。であるならば思い込んでしまえばいい。

自分に都合のいい思い込みを自分ですればいい。自己洗脳。

最後に、この学びを活かし再現性を高めるためには…
・やるしかない環境・状況に身を置く?
・自認を強めるために小さな成功体験を積む?
・気合いで押し切る?

個人の考えとしては自認一択
根拠のある自信はその根拠が打ち破られた時にブレるが、根拠のない自信は潰しようがない。

自分で自分をどう評価するか、どんな自認をするかによって人生の色は変わってくる。

というのが今のところの私の結論としておきます。

この仮説を検証する毎日を。ご覧いただきありがとうございました。

【継続が最強】ワクワクした人生にするために。

『大人になってから、未来にワクワクしなくなり、時々 死について考えてはモヤモヤとする日々。もっとキラキラとした毎日を生き生きと過ごしたい。』

なぜ、ワクワク・モヤモヤ・キラキラ・イライラ・ドキドキと言った感情を表す言葉は、二度繰り返すのか。

前々から疑問に思っていたので調べてみた。隅々まで共有する。

たかだか1000文字ちょっとの記事ですが、お読み頂けると幸いです。

 

ワクワクがいちばんの指標である。

今回記事を書くにあたってフックになったのは、友人との些細な会話。

「色々経験してきたけど、結局ワクワクするかどうかが一番の指標だよね」

なんて話をしていて、

ワクワクしている時はウキウキしていて、毎日をワクワクして生きている人はキラキラして見える。
逆に、常にイライラしている人はキラキラして見えなくて、モヤモヤが晴れただけで身軽になるよなー、とか考えているうちに、「あれ?なんで、こういう感情とか心情とかを表す言葉は2回繰り返すんだ?」と疑問に思った。

畳語 / じょうご

ワクワク・ドキドキのような反復して作られた言葉のことを「畳語/じょうご」と言い、日本語特有のものではなく各言語に存在するそう。

【英語の例】

  • A long,long way(とても長い道のり)
  • Tick-Tock(時計のチクタク)
  • Bye-bye(バイバイ)

よく知られるオノマトペ(擬音語・擬態語)に多く、音や様子を言葉に当てはめるでなく、そのまま伝えた方が伝わりやすいために使用される語。

例)「腹が立つ」より「イライラする」
例)「綺麗な肌」より「すべすべの肌」

本当に言葉ってよく出来ている。感心。

 

連続性の表現

名詞の角度から考えてみるとわかりやすい。

「山々」や「我々」のように、繰り返すことで数の多さや連続性を表現できる。

「イラっとする」は、その場限りの単発な感情を思わせるのに対し、「イライラする」は、今もなおイライラしている感が伝わる。

「ドキっとする」のも、一瞬の様子に感じ、
「ドキドキする」のは、ずっとその状況が続いていると伝わる。

活かしてやっと成果あり

学びは活かさないと意味がない。
知っているだけでなく、活用してやっと真価を発揮する。

ということで、この学びをどう活かしていくかという話で締め括る。

大前提として、まず自分の心情・心の動きに敏感になる必要がある。

その上で、
モヤっとした時に、モヤモヤし続けないこと。
イラっとした時に、イライラし続けないこと。

一方で、
興味が湧いた時に、ワクワクし続けること。
自身が光った状況に身を置き、キラキラし続けること。

一瞬の感情、一瞬の経験、一瞬の状況が
ポジティブであれば続けること、ネガティブであれば断つこと。

結局、コツコツが勝つコツ。という結論です。

 

【逆境こそ変化の時】受け入れ、変わり、進化しろ。『艱難辛苦、汝を玉とす』

艱難辛苦』『艱難、汝を玉とす

困難や苦労を乗り越えることによって立派な人間になる。という意味の言葉。

ひょんなことから格言を授かったので、この言葉について考えたい。

 

格言との出会い

運営しているYouTubeのコメント欄で頂いた言葉。

言葉との出会いは時に人の人生を大きく変えてしまうくらいのパワーを持っている。

今、私が運営しているYouTubeチャンネルは「AIによる大量生産動画の収益化停止措置」に引っ掛かっていて、収益が停止状態にある。

そんな状況を慮ってか、「艱難、汝を玉とす」というコメントを頂いた。

恥ずかしながら初めて聞いた言葉だったので調べてみた。

 

艱難、汝を玉とす

この言葉の意味は以下。

艱難、汝を玉とす:
人が困難や苦難を乗り越えることで成長し、立派な人物になること

人は苦難や困難を経験し、それを乗り越えることで、宝石(玉)のように立派な人間に磨き上げられるという意味の言葉。

由来は、フランスのことわざから来ていると言われている。

Vent au visage rend l'homme sage / 逆風は人を賢くする

そもそも人間は現状に留まろうとする生き物。

必要性がなければ 現状維持・安心・安全 を好む。変化を嫌う。

逆に言うと、
必要性があったから四足歩行から二足歩行に進化し、脳が発達し、道具や火を用い始めたのである。

そして人間の進歩に伴って、科学も進化し続けている。

今まで通りでは通用しなくなり、進歩を求められたからこそ変化した。

それでもなお変化を拒んだ種は淘汰されてきた。

私たちは今、そんな歴史の上に立っている。

 

困難は成長のための試練である

困難や苦労を要する状況を「災難」と考えるのか「成長のための試練」と考えるのかはその人次第。

困難や苦労とは、変化を求められているということ。

今まで通りではどうしようもなくなった時に、人は考える。
そのために脳が肥大化し、考えるからこそ生き残ってきた。

つまり困難を乗り越えたその先には、以前では考えられなかった新しい景色が広がっている。

スマホが出てくる前とそれ以前では雲泥の差があるように。

 

玉磨かざれば光なし

どんなに秀でた才能や素質を持っていても、それを磨く努力や修練を積まなければその進化は発揮されずに、光ることはない。

持っているだけでは意味がない。
持って生まれたその才能を活かして何をするのか。
どう磨いてどう光らせるのか。

一筋縄ではいかない困難だからこそ立ち向かう甲斐があり、充実感がある。

さあ、汝を玉としよう。玉を磨こう。
今こそ光る時です。

 

【自己を研鑽する】"選択の余地がない人"は最強である。

人生は思い通りである。

自分が見たい景色を、自らが選択して視聴している。

猛吹雪の中、朝6時にジム行った時にそんなことを感じたので、まとめる。

 

I have no choice

物事を進めるにはスピード感が必要で、
スピード感を語る上でネックとなってくるのが、「選択」だろう。

スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグといった著名人が"選択"を減らすために毎日同じ服を着ているのは有名な話だが、"選択"には想像以上の時間と労力を要している。

その点で、[選択の余地がない人]は最強である。

よく、何かで成功した人のインタビューで「そうするしかなかった」と聞く。

これはまさに[選択の余地がない]状態で、選択肢がそれしかないからこそ、
他の何を考えるでもなく100%のリソースを割くことができる。割くことしかできない。

某北海道、朝、猛吹雪。

某北海道の某日。朝から猛吹雪。それはそれは猛吹雪。

暴風雨警報が出ていたくらいの、惑うことなき猛吹雪。

私はそんなことを知らずに就寝し、朝5:30に起床した。ジムに行くために。

起きたら猛吹雪。だが、ジムに行くために起きた。

一瞬家を出るのを躊躇したが、
逆に「この吹雪でこの朝に誰かジムにいるのかな」という好奇心が湧いた。

気になったらもう行くしかない。答え合わせがしたい。

 

いつも通りのトレーニー

そこにはいつも通りの顔ぶれ。

いつものメンツがいつもの通りにジムにいた。何食わぬ顔で。

外の世界は異常事態。ジムの中は通常運転。

そこにいた自分も相当だが、ここにいる人たちのセンサーを疑った。

「朝からジムに来る人にとって、天気は行かない理由にならないんだな」と感じた。

▷行くと決めて寝た。
▷行くために起きた。
▷二度寝しようにも目は覚めている。
▷行くしかない。行かないという選択肢は無い。

こんな思考回路なんだろうなと。

いわゆる選択という考えに至らない。No choiceである。

自身で決めたことは絶対で、そこには天気であれ他人であれ、何人たりとも介入の余地はない。そんな法則が存在するのだと悟った。

これらはよく意志の強い人と呼ばれるが、それはもはや意志ではなく決定事項なんだろうと思う。

自分を研鑽する

自己研鑽ーー自らを磨き深め極めること。

自らを研鑽できる人とは、そんな覆ることのない自分ルールを定めている人なんじゃないだろうか。

そんな気付きを得た吹雪の早朝ジムでした。

【“間髪入れず”に決断する方法】迷うな、飛び込め。

人生は決断の連続。

チャンスはそこら中に転がっていて、それに気づくかどうか、手にするかどうかの問題。

そこで大事になってくるのが身軽さと決断の早さ。

ここだ!と思った時に飛び込めるかどうか。

何かを提案された時、間髪入れずに“YES”を言えるかどうか。

人生を好転させるべく、「間髪入れず」という言葉について考える。

髪の毛一本の隙間がないほど

「間髪入れず」は読んで字の如く、

【間に髪の毛一本入れる隙間のない様子】 を指す。

ここから転じて、

①事態が切迫している様子

②時間を置かず、瞬発的

という意味の言葉になったとされている。

時間をおかずに瞬発的であるため、考える余裕がない。

つまり、日頃の準備や普段の思考が物をいう。

日頃の準備を怠らなかった者は、いつでも間髪入れずに飛び込むことが出来る。

そんな人がチャンスを掴んでいくのは至極真っ当な話。

身軽でいること

そのためにはできるだけ身軽でいること、できるだけシームレスであること。

両手を塞ぐことなく、常に何かを掴めるようにしておくこと。

現代は、もの・情報・娯楽に溢れている。

現代の1日分の情報量が、江戸時代の1年分、平安時代の一生分と言われているほどで、とにかく情報過多にある。

過剰は、情報だけにとどまらない。

人からの承認・欲や快楽・エンタメ、娯楽…

資本主義の発展により、必要のないものまで欲しいと思い込まされている。

その道には際限がない。

心の余裕がチャンスを掴む

物であふれた部屋、ごちゃごちゃした思考を抱えた脳内。

すき間がないと、正常な判断が下せない。

自分の心のキャパシティに余裕を持たせることで、

余裕がない切迫した状況下でも間髪入れずにチャンスを手にすることができるはず。

身軽に、自由でいること。

これがこれからの時代を生きるヒントのような気がしている。

 

最後に余談だが、

「間髪入れず」の他にも「危機一髪」や「間一髪」など、似たような意味の言葉で“髪”という字がよく使われている。

どれも中国由来のもの。

昔の中国では、最小の単位として“髪”を用いることが多かったらしい。

閉した蓋は開けられないが、それごと包み込むことはできる

気づけば2025年。今を必死に生きていたら前の投稿から5ヶ月が経過していた。

久しぶりにこのブログに想いを馳せたので、ここ最近の生活を振り返りながら、そこから得た学びをここに記録する。

「他人の心の蓋を無理やりこじ開けることはできないけれど、それごと包み込むことで開くことがある」かもしれない。

ここ最近の秩序

前回の投稿が2024年12月21日。今この記事執筆時点で2025年5月12日。

気づけば、5ヶ月近くも経っている。

時の流れが早く感じるのは充実している証拠で、そのことを振り返っているその瞬間は余裕がある証拠。

この5ヶ月はいろんなことがあった。

いろんな変化がありすぎて、瞬間瞬間を必死に生きていたらこの年月が経っていた、というのが概略といったところ。

事細かに振り返っては文字数も根気も足りないので、ポイントポイントをざっくりと振り返りたい。

  • 仕事を辞めて1年経過
  • 実家に帰る
  • 動画投稿を始める
  • LINEを消す
  • マラソンにハマる

仕事を辞めて1年が経過

新卒で入った会社を辞めて1年が経過した。

この1年、新しい職に就くことはなく、資格の取得に励んだりブログの運営を始めたりYouTubeチャンネルを作ったり、“メンタルを回復させる期間”と割り切って、なるべく人に合わないなど、低刺激ノンストレスな環境に身を置くことを意識した。

実家に逆戻り

1年経ったタイミングで、3年間お世話になった家を引き払い、実家に帰る選択をした。

両親に今後のことや、ここ一年のことを話すなどして、再び実家にお世話になることになった。

出戻り。

捉え方は人それぞれだけど、“実家を出る”という選択をしないと“実家に戻る”という選択肢は生まれ得ないので、良しとする。

始めること・辞めること、どんな決断も尊いもの、と考えている。

動画投稿を始める

実家に戻り、動画編集を始めた。

というのも、私が仕事を辞めたタイミングで親が運営し始めたYouTubeがこの1年である程度伸びた。

副業というかアルバイトというか、いつの間にかそれくらいの採算が立つくらいの光になっていて、母の継続力や想いを想像するなどして、尊敬の念を覚えた。

そのチャンネルを引き継ぐ形というか、私も動画編集に加わる形となった。

一輪車を二輪車にする感覚。

二馬力で回すことで余裕が生まれたり、幅を広げられたり、良循環が生まれている。

ここで感じたのは、人間は“何か打ち込むことがあればそれが幸せ”であるということ。

暇でやることがないというのが一番の苦痛で、毎分毎秒課題が降ってくる環境は苦しいし大変かもしれないけど、それは確かな幸せ。その苦労の線路は不幸には繋がっていない。

そんな環境を、今度は自分が与えられる存在になれる様に。乗っかる側ではなく、生み出す側に回れる様に、今は今の課題に真剣に向き合いたい所存。

そんな気持ちで5ヶ月ぶりにこのブログに戻ってきた。

 

LINEを消す

LINEを消した。理由は身辺整理のため。

大人になるにつれて、住む場所・置かれた環境等の変化で、会いたい人に容易に会えなくなり、その事実に折り合いが付けられる様になったような、納得いかないような。

今の自分にとって本当に大切な人間関係はどれくらいあるんだろう、と格好よく言うと退路を断つ形でLINEを消した。

言葉の通り、“必要最低限”の関係性だけを残した結果、LINEの友だちは「4人」になった。

その後ひとり加わって、現在は「5人」と繋がっている。

マラソンにハマる

もとよりではあるが、マラソンに本格的にハマった。

どれくらいハマっているかと言うと、4月:月間196キロ走るくらいハマっている。

4月は30日間なので、単純計算で1日平均6.5キロ走ったことになる。

そして、今シーズンは今現在で4レースに応募完了。今後応募が開始される大会を含めると7~8レースに参加しそう。

2024年5月から始めたマラソン人生、2年目にしてウルトラマラソン(100km)にも応募した。

未知の世界を見に、走ってくる。

マラソンには運や偶然という要素がない。それに、競争という概念もそれほどない。

自分が走った分だけ距離が伸びるし、自分との戦いでしかない。

自らの足で、どこまでも走っていく。身軽に、行きたい場所へ。

僕らどこまでだって行ける。

 

不義理

振り返りはざっとこんな感じなんだが、それともうひとつ。

お世話になっていた先輩に不義理をした。

私目線から見て、私が悪い。フラットに見て、私が悪い。

どう考えても不義理。

不義理の内容等は割愛するが、不義理を働き、約3ヶ月間音信不通になった私に対して、先輩は手を差し伸べてくれた。

怒るでも見捨てるでも、何があったかを聞くでもなく、ただ何もなかったようにご飯をご馳走して歩み寄ってくれた。

正直、人間の縁なんてどこで切れるかわからないし、これで一生関わることないのかななんて思っていた矢先の歩み寄りだったので、驚き、自省し、深い学びを得た。

すべてが嫌になり、放棄し、逃げ出す形で私が閉ざした心の蓋を、先輩は突き放すことをせず、無理にこじ開けようとせず、包み込んでくれた。

それごとまるっと愛してあげる、というような大きな器・大きな愛を感じた。

そんな素敵な愛を持った大人になりたいなと、改めて感じた経験だった。

人から貰った愛を一身に受けて、今に満足することなく日々精進。

自分のペースでコツコツと。

これからもよろしくお願いします。