無意識はすべてを知っている
人の表情が物語るものは、顔の左右で異なる。
感情は顔の左半分に表れる。
感情を伝えたければ左頬を、隠したければ右頬を相手に見せるといい。
この記事では、無意識の偉大さについて考えたい。
ひねくれ者たち
人は捻れで出来ている。
DNAは螺旋構造。左心房は右側に、右心房は左側に位置する。
右脳は左半身をコントロールし、左脳は右半身をコントロールする。
右脳は感情。直感。ひらめき。
左脳は言語。ロジック。論理的思考。
これらを鑑みると、
右脳がコントロールする左頬には感情が表れやすい。という事実が浮かび上がる。
無意識の選択
「意識は氷山の一角」という話はご存知だろうか。
私たちがしている意識的な行動は3%で、残りの97%は無意識的な判断によるもの。
「家族への愛を表現してください」という要求があったシャッター場面と、
「感情を悟られないようにしてください」というシャッター場面の比較による実験では、
前者は左頬を、後者は右頬を見せるポーズを取る人が多かったという。
更に、囚人のジレンマのような信頼と裏切りのゲームでは、裏切る人ほど左頬を見せる傾向にあると言う。
左頬には感情が宿り、笑顔がキレイに見えやすい。
裏切る選択を取る人、裏切り慣れている人はそういった事実を実体験から“無意識”に学んでいる。
これは、「左頬には本音が表れるから~」と意識した結果ではない。
無意識に人はそういう選択をする。
自分の望む行動を、無意識は知っている。
本音は左頬に
作詞家や脚本家、画家など、アーティストやクリエイターと呼ばれる人はこの事実を知っている。
作り手は受け手の想像の何倍も考え、細部の細部までこだわり抜いている。
「本音」を表現したければさりげなく左頬を見せるように創り、逆に「なにか隠している」と暗に示したい際には右頬を見せる構図にする。
女性は笑顔(左頬)、男性は権威(右頬)を見せる傾向にもあるようだ。
写真を撮る際に、人は自然と少し角度をつけて奥行きを見せる行動をとる。
これらの行動には無意識的な感情が隠されているのかもしれない。
気が使える人と気が利く人。
ひとつの本からはひとつの学びで充分だよ、という記事を先日書いた。
ということで、一番最近読んだ本から得た学びを共有したい。
『機嫌のデザイン』から得た、ひとつの学び。
それは「最大の親切は悟られないこと」という考え方。
「気遣い」と「気が利く」の違い
気遣いというのは、こちら側の親切に相手も気付くこと。
一方、気が利くというのは、相手に感じさせないさりげない親切。
気が利く人の行動は、された側が気付かないうちにそっと親切されている状態。
ありがとうすら言わせない、“当たり前”を常に用意し続ける人のこと。
気を使える人なのか、気が利く人なのか。
この似た言葉には大きな違いがある。
気が利く人になるために
では、気が利くためには何が必要か。
先読み力、先回りの思考である。を
「これをしたらどうなるか」「この後、何が必要か」
こうやって次に起こりうる事をシュミレーションして、常に先を生きること。
事象が起こってからではなく、最初からそうであったように、当たり前に行う。当たり前と思わせる。
それを、そっと人知れずに行うことが最大の親切だ。
そう、気付いてもらえないから、孤独な戦いになる。
気付く人は気付く
だからこそ、期待をしないこと。
気付く人は気付くし、気付かない人は気付かない。
この事実を理解する。
気付く人が正で、気付かない人が悪。ではない。
そういう人と、そういう人な、だけ。
自分の中で腑に落として、「あ、今の私気が利いてたな~」と自己完結すればいい。
そうやって騒がずに、健気に、ご機嫌でいることが最も重要。
この些細な気配りの積み重ねが後にとんでもないほど大きな差を生む。
気付く人は波動が高い。
自分の波動を高い位置に設定し続けることで、そこに引き合う。
そこに引っ張り上げられる。
それまで淡々と当たり前におこなうに尽きる。
何事も、小さなことから始まる。理解して、行動すること。
意識の違いは大きな違い。
ひとつの種からひとつの芽
「成功したければ、本を読め」とよく耳にする。
たしかに成功者が本を読んでいる割合は驚くほど高い。
だから本を読もう。と、読書を習慣にしている人は一定数いるだろう。
ただ、本を読み終えた際に、「何が面白かったの?」と聞かれて、答えられない人が多いように思う。
ひとつの本からはひとつ。たったひとつの「これを学んだ」があればそれで十分だ。
ひとつの本からひとつの記事
本の要約、本から得たこと。
どうしても、箇条書きで並べたり、〇選のようにいくつかにまとめようとしてしまう。
一方、ひとつの本からはひとつの学びで充分だと私は思っている。
あれもこれもと、何個も学べば学ぶほど、実践するのが難しくなる。
ひとつの本からはひとつの学び。
1冊読み終わったらひとつのテーマで、ひとつの記事を書き上げる。
それくらいでちょうどいい。
種と芽
本を植物で例えると、本は種で、学びは芽。
本を読むと種が植わる。
その種から芽が出るかは分からない。
そして、芽はひとつで良い。
たとえすぐに芽が出なくても、種は植わっている。
たくさん本を読んで、たくさん忘れていい。
いつかなにかのきっかけで芽が出ることがある。
そのために読書と言う名の種撒きをしておく。
芽が出たときには、なんの本から学んだかは忘れているだろうけど、淘汰されて残ったものが本質だ。それでいい。
行動に移すこと
「感情を動かすのは二流。行動に移させるのが一流」という言葉がある。
本から何かを学んだ際に、実際に自分で行動に移してみて、やっと成果がある。
ただ、“行動”のハードルが高いのは皆、周知の事実だと思う。
行動に移すには腑に落とす必要がある。
腑に落ちていないと人は行動ができない。
本から何かを得て、行動に移す。
この間には「腑に落ちる」という過程がある。
ただ、「腑に落ちる」のもなかなか難しい。
ひとつの本から何個も腑に落ちるのは現実的ではない。
たったひとつの“気付き”を得られれば儲けもの。
大体、芽が出ずに種が植わって終わる。
過度に期待しすぎずに、読みたきゃ読んで、やりたきゃやればそれでいい。
「なりたい」には、なれない。
好きこそ物の上手なれという言葉がある。
どんなに努力しても、純粋にその物事を好きな人には敵わない。
有名な言葉だが、このことを本当の意味で分かっていない人が多い。
好きこそ物の上手なれ
好きこそ物の上手なれは、芯をついている。
好きな人はやれと言われなくても、いやむしろやめろと言われてもやる。
それは好きだから。
多くの人が承知の事実だと思う。
それなのに、「サッカー選手になりたい」「YouTuberになりたい」と言う人が絶えない。
夢を語る際、「~になりたい」と言う。
これは「好きになりたい」と同義で、叶いっこない。
ではどうするか。
好きを突きつめるほかない。
探究心、好奇心、研究心だ。
サッカーが楽しくて、探究していたら上手くなっていく。声がかかる。プロになる。
動画配信が好きで、配信していたらYouTuberと呼ばれるようになる。
「なる人」は、なりたい先行ではなく行動先行で動いている。
願望ではなく行動を語る
「~になりたい」と言った時点でその夢は遠ざかる。
「~になりたい」では、「~になる」という具体性がない。願望でしかない。
「YouTuberになりたい」ならば、「動画」を配信する。
「サッカー選手になりたい」ならば、「ボール」を蹴る。
「好きになりたい」ならば、「触れて」みる。「色んな角度」から見つめてみる。
そうやって、願望を押し出すのではなく具体的な行動まで深掘りすること。
そうしないと、夢は叶わない。
くれぐれも自分を奮い立たせないこと
『機嫌のデザイン』という本を読んだ。
自分の機嫌は自分しか取れない。
浮き沈みをなくすために、平常心をデザインする。
この本の学び
私は『FuzzyGray』の他に『PopScone』というブログも運営している。
ポップスコーンの方では、映画や小説などのエンタメの感想や気付きをまとめている。
そして今回、『機嫌のデザイン』という本を読んだ。
この本の内容や学びはポップスコーンの方でまとめた。(下記参照)
ということで、当ブログでは、これを基に何を感じ、どう活かしていくかをまとめたい。
無秩序なメンタル
わたくし秩序の最近読んだ本。
1.機嫌のデザイン / 秋山道夫2.寂しい夜にはペンを持て / 古賀史健
3.嫌われる勇気 / 岸見一郎.古賀史健
4.幸せについて / 谷川俊太郎
5.心の荷物の手放し方 / 精神科医tomy
「ペンネーム秩序のくせにメンタル無秩序じゃねーか」
というツッコミはいいとして、最近のわたしはメンタルの安定を望んでいるのかもしれない。
メンタル安定ジャンルの本をたくさん読んだ中でどの本でも共通して語られることは、
「期待しないこと」「平常心でいること」「無理をしないこと」
の三点だった。
「時間は有限だ、命を燃やせ。」
という本も数多あるが、そういった本が我が家にやってこないのはそういうこと。
私はそっちのタイプじゃない。
自分を奮い立たせない
向上心があるわたしは今まで、「よし、やるぞ!」と自分を奮い立たせてきた。
自分に喝を入れ、モチベーションをあげて頬を叩き、やる気を出していた。
“努力”できない日もあるけれど、できる限り“努力”してきた。
まずは、そんな自分を否定することから始めたいと思う。
「違うよ、間違ってるよ」と本たちが教えてくれた。
自分を奮い立たせるのは、ジェットコースターの急上昇している状態。
その時は急激に昇ることができるし、上しか見えない。そして高揚感がある。
ただ、ピークに達した瞬間に急下降を始める。
遊園地というフィールドではその高低差が楽しいけれど、人生は浮き沈みが少ない方がいい。
人生は長い。気分の浮き沈みに自分の身を委ねては安定しない。
良い時も悪い時も変わらずにやる。
無理に自分を奮い立たせることなく、やるべきことはやる。
やりたいことなら、なおさらやる。ただそれだけ。
キーワードは平常心
そのためには、平常心でいること。
最高の気分も最低の気分も、適さない。
自分のメンタルを、手の届く通常運転の心の位置に留めること。
期待をすると失望するし、ピンチの後にはチャンスがある。
日常は常に70点でいることが大事。
100点を取るとそれが基準になるし、30点だと自暴自棄になる。
常にほんのり幸せで、ほんのり続いてるくらいがいい。
キーワードは平常心。いかに自分をコントロールできるかにかかっている。
最後はシンプル
現代人は頭の中が複雑になりすぎている。
有名人のこと、友達、パートナー。
常に何かを考えていて、荷物が多い。
素っ裸で何もできずに生まれた僕らは、自由という「無」に向かって荷物を背負い続ける旅に出る。
常に稼働しているベルトコンベアに乗る私たちは、動き続けないと振り落とされる。
立ち止まって現状を把握する余裕がなく、おかしいはずの今を疑問に思えない。
背負った荷物を手放せた人から、ベルトコンベアの錯覚を抜け出せる。
シンプルで始まった僕らは最後、シンプルに行き着くのではないだろうか。
余計なものをすべて手放して、身軽でいよう。
何にも縛られず、自分勝手に、自分を愛して、生きたいように生きる。
だからわたしはブログを書く。
書く理由は、書きたいから。
それくらいシンプルでいい。
こじつけとは
無理がある。強引すぎる。理屈がなってない。
インターネットが当たり前に普及した現代、誰でも意見を発信できるようになった。
自分の意見を語るのは個人の自由ではあるが、発信する以上は責任が伴う。
論理立っていない意見も横行するネット社会に一石を投じるため、
今回は「こじつけ」について考えてみる。
こじつけとは
こじつけは「故事付け」と書く。
故事の意味は下記のとおり。
1.昔あった事柄、古い事
2.昔から伝わってきている、いわれある事柄。古くからの由緒のあること。
-コトバンクより引用ー
昔から言い伝えられてきたもののことで、「古事」とも書く。
強引に因果を結びつける“こじつけ”は、故事にくっつけるという由来からきた言葉だった。
歴史で語る
考察や推測をする際に、強引に結びつけて判断すること。
今ではそのような状態を“こじつけ”と呼ぶ。
由来から考えると、言葉の意味や解釈の際になんでも「故事」にあてはめて、強引に根拠をつけ足そうとした様子が「こじつけ」になったのだと思う。
「故事」の「後付け」で、「こじつけ」だ。
歴史から学べる点は多く、知見にもなり得る。
しかし、それに固執しすぎて何でもかんでも歴史で語るのは、また違う。
こじつけになりすぎない程度に、柔軟で多角的な物事の捉え方をしたい。
分散型闘志という考え方
雄弁は銀、沈黙は金。という言葉がある。
何かが起きた時、言い訳するよりも、騒ぐよりも、黙っているのが一番いい。と言った意味の言葉。
それがなかなか実行できない、とお思いのことだろう。
今回はそんな、「黙って待つ」ことの大切さを説きたい。
寝かせることも大事
分かってはいるけど、なかなか実行に移せない。
そう感じる人は多いだろう。
だから私が、もっと分からせたい。
行動に移るくらいに分からせたい。
まず、花を育てることを考えよう。
花を育てようと思ったら、まず種を植える。
種を植えたら栄養剤を刺して、水と日光を与えて、あとは育つのを待つ。気長に待つ。
種を植えて、水をあげて、芽が出ない。とは騒がない。
人生もこれと同じだと思う。
黙って待つこと。正しく栄養を与えていれば、自然と育つ。
やることだけやって、あとは待つ。
アイデアは発酵で美味しくなる
アイデアについても考えよう。
ぱっと思いついたこと。何かの気付き。
これらを発酵させてみてほしい。
アイデアは発酵食品。
一度腐らせて、気づいたら美味しくなっているもの。
寝かせることも大切。
アンテナだけ張って、やることやって、あとは腐るのを待ってみる。
分散型闘志
待つためには、多くの世界に生きること。
一つだけに絞ってしまうと、依存してしまう。
分散型投資と一緒。
ターンオーバーが必要。
待ってる間に他にやることが必要。
何かをやる時は一点集中。それをふたつもみっつも持っていれば依存しなくて済む。
闘志・情熱を分散させる、分散型闘志の考え方でいたい。