FuzzyGrey

曖昧の中に真実を

人生に必要な、外圧というスパイス

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ネタに追われる。何も浮かばない。

スランプとはこういう感覚か。というのが私の現状。

一度定まった自分のルーティーンを崩してみると、新たな景色が見られる。

ブログ記事を書くにあたって意識していることをまとめたい。

内面を育てる

同じ事象に出会っても、捉え方は千差万別。

ポジティブに捉える人がいればネガティブに捉える人もいる。

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前向きな歌で背中を押す歌手がいれば、暗い歌で寄り添うように手を差し伸べる歌手もいる。

何かを生み出したければ、感受性を育てる必要がある。

内から湧き出るもの、その源泉である内側を育てるところから始まる。

そのためには、瞑想だったり丁寧道だったり、岡田斗司夫のスマートノートだったりする。

私もここ半年瞑想を続けてきて、確かに感受性が育ってきている。

リンゴが木から落ちるのを見てニュートン万有引力を見つけたような経験、そのような感性になってきたことを自覚できるくらいには変わってきた。

ブログの更新頻度

正確な数字も分析もしてないけれど、私がここ最近このブログを更新するのは週2本くらいのペース。

というのも、私は最近、土曜日の朝スタバにハマっている。

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資格勉強のために朝スタバに行っているのだが、外に出て勉強すると色々感じることがある。

育った感受性に外圧が加わることで、記事が生まれる。

土曜の朝にスタバで勉強をすると、2記事くらいのアイデアが生まれる。

それを土日の残り時間を使ってアウトプットする。そんな流れになっていた。

ただ、先週の土曜日は一日中家に籠って勉強。

そうすると何のアイデアも浮かばず、先週は記事投稿0本。

イデアを生み出すために、内の感受性が必要なことは先に述べた。

そのうえで、外圧というスパイスが必要。

育った鉢に栄養を与えて、やっとアイデアが生まれる。

外に出ないと生まれない

イデアは0から生まれるのではなく、既存と既存の掛け合わせで生まれる。

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既存に触れる行為、外圧が必要になる。

島国生まれの島国育ちの私が家に籠っていたところで何も生まれない。箸にも棒にもかからない。

①孤独の時間に内を育てる。(準備段階)

②外圧を受けるため、外に繰り出す。(スパイスをかける)

③孤独に戻って形にする。(アウトプット)

この段階を経ることが良いサイクルを回す鉄則であることに気が付いた。

その分、スタバのコーヒー代はかかるけれど、数百円をケチっていては何も広がらない。

どう節約するかを考えるよりどう稼ぐかを考えたい。