FuzzyGrey

曖昧の中に真実を

2024年のスタートダッシュ

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2024年が始まって、早くも1ヵ月が経った。親友と「去年よりいい年にしよう」と語って始まった2024年だったものの、かねてより勉強を続けていたFP3級の試験は発熱で断念、仕事はメンタルを崩して休職中。幼少期から付き合っているはずの持病の悪化ときて、散々なここまで。

というように、私の2024年は怒涛の始まりを迎えている。

ここまでの軌跡と今の感情をまとめてみたい。

休職

時系列は多少ずれるが、大きい事から振り返るとして、現在仕事を休職中。

自分でも気付いていなかった(気付かないフリをしていた)けど、精神的に相当来ていたっぽい。

自分で言うのもなんだけど、平常時の性格は温厚で争い事を嫌う平和主義者。

そんな私が今は「破壊欲」に駆られている。

精神病と言えば昨年末に東海オンエアのしばゆーがパニック障害になってホテルのものを投げまくって大荒らししていたが、今ならその気持ちがわかってしまう。

全てのことがどうでもよくなりつつあり、触れるもの全てを破壊したくなっている。

破壊したい。壊したい。粉々になるその様が気持ちいい。そんな危ない感情が湧きつつある。湧いては、潰している。まだ理性は働いている。

高価なもの、貴重なものであればあるほど、“破壊”した時の優越感が大きく、大事な人であったり、大事なものが目の前にあると「壊したい」という欲が湧いてくる。

“欲に駆られる”という言い方をしているのは、現に破壊には至っていないからであり、多分現状、精神病は患っていない。と自負している。

最も高価なものといえば、「命」で、自分で自分の命を絶とうとする人の気持ちも少し分かった気がする。

もちろん、私に自死を選ぶ勇気はない。だから命が続く限り生き続ける。

その臆病さにも嫌気が指すし、人と会ってもネガティブなことしか口にできない現状の自分が嫌いになりつつある。

何とかしなければいけないのは分かっていながらも、解決の糸口が見つからない。

いや、見つかっているのに決断を先延ばしにして、嫌なことから目を背けてる。

都合の悪いことは見ないようにして生きている。

そんな自分が嫌いだ。

FP3級

昨年11月頃からFP3級の資格を取得すべく、勉強を始めた。

1/28に実施される試験に8000円もかけてエントリーをしていたにも関わらず、断念した。

というのも、ちょうど休職になる期間と被っており、心が穏やかじゃなく、発熱。

「病は気から」とはよく言ったもので、分かりやすく体調を崩した。

家族、友人にいいだけ公言してしまっており、今月中に取得はするつもりではいるけれど、正直それどころではないのが本心。

FPもどうでもいいし、友達とかどうでもいい。

なんかすべてに気持ちが入らない。自分が何をしたいのかが分からない。全てを手放してしまいたい。

YouTube

そんな休職中にやっていること。YouTube投稿を初めてみた。

AIの発達に伴ってチャットGPTが脚光を浴びており、このテクノロジーを活かして顔出しなしでYouTubeが出来るという。という話を耳にして、やってみた。

結果として、思いのままに5チャンネルほど手を出してみて、残ったのが1チャンネル。

やはり「好きこそものの上手なれ」に限る。

YouTubeで、チャットGPTを使って顔出しなしで○○円稼げる!と言われても、誰でもできるような単純作業は私に向いていないことが分かった。

私は、自分という人格を乗せて仕事がしたい。

この残った1チャンネルでは、私が作詞したものをAIに歌ってもらうというボカロP的なことをしている。

このブログ然り、YouTube然り、普段生きていてずっと頭が働いている私はその溜まった想い、モヤモヤした感情を何かに変換して世に送り出したい欲求がある。

ということが休職中のYouTube投稿という遊びから得た教訓かな。

ラソン大会

2024年がこんな始まり方を迎えると思っていなかった2023年末。

この頃に立てた予定では、2024年は5月開催の洞爺湖ラソンに出場して、8月の北海道マラソンに出場して、10月の札幌マラソンに出場して…と考えていた。

洞爺湖ラソンの応募は例年2月1日から開始する。そう、記事を執筆している今日は2月2日。

今年の洞爺湖ラソンも恐らく応募が開始しているが、多分応募せず、見送る。

去年あれだけ予定を立ててモチベーションを保っていたのにも関わらず、現状こんなことになっている自分が情けない。

仕事で自分のしたい事を潰されている現状が悔しい。

ぶつけどころのない怒りにモヤモヤする。

じゃあ応募しろよ、走ればいいじゃん。とも思うけれど、その活力が湧かない。

仮に応募したとして、FPに続いてマラソン大会までブッチしてしまったら、本格的に自分を嫌いになってしまいそうで怖い。

エントリーしても行かないことも出来る。という選択肢を自分の中に植え付けるのが怖い。

とにかく情けない。悔しい。

ライター

「残ったものが真実だ」という言葉のとおり、大事な人や好きなものは残るし、戻ってくる。

今ここで33日ぶりにブログ記事を執筆しているように、やはり私はライティングが好きみたいだ。

休職して資格勉強をしてYouTubeを作ってみて、ブログに戻ってきた。

小説を執筆して応募してみたり、自伝を作って販売してみたり、ブログを運営していたり、YouTubeで作詞して曲を作ってみたり、とにかく「書く」ということが好き。

これらはすべて私の考えをアウトプットする道具にすぎず、おそらく私は自分の体から出し切れていない“想い”というものが多いのだろう。

細かく敏感で、こだわりが強い。

自分軸という自分の中の基準が明確にあるものの、それを人にはなかなか言えないし、言ったとしてもわかってもらえない。

分かってほしいとも思っていなければ、分かってくれるだろうという期待すらしていない。

そういった鬱々とした自分論をうまく昇華させる方法がこれらのものたちなんだと思う。

もちろん生き辛いんだろうし、もっと楽に生きている人、もっと楽に生きる方法はあるんだろうが、わたしはわたし。

秩序が大好きなお堅い生き辛い人間。

それならば、とことん向き合って私の鬱々を世の中にクリエイトしていこうじゃないか。

という後ろ向きなポジティブで終わりとしたい。